長嶋茂雄さん死去 残した“ミスター伝説”一茂を球場に忘れる、スイカは“先”だけ…ユニークな人柄愛され

[ 2025年6月3日 10:03 ]

巨人の長嶋茂雄終身名誉監督
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 プロ野球の巨人の三塁手として活躍し、引退後は巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが3日午前6時39分、都内の病院で肺炎のため死去したと読売新聞グループ本社、読売巨人軍などが発表した。89歳だった。「ミスター・ジャイアンツ」などの愛称で親しまれ、数多くの逸話を残した。

 息子で元プロ野球選手・タレントの一茂が幼い頃、球場に連れていったものの、試合後、忘れて帰宅してしまったことは有名なエピソード。

 またその一茂自身も24年10月4日のテレビ朝日系「ザワつく!金曜日」内で「ファンレターとか来る時は、東京都大田区田園調布だけで着くの。郵便番号もいらないし、番地もなしで、『東京都大田区田園調布・長嶋茂雄様』だけで全部来る」と父の“スターっぷり”を振り返っていた。

 20年放送の同番組でも一茂は「王さんは1番で、父は3番。俺は何でも背番号1のものを、寝間着とか王さんのものを(持っていた)。『王さんの1番を付けたい』って言って」と「ONコンビ」王貞治氏のファンであったという意外な事実を明かしている。

 また食べ物にまつわるユニークな逸話も。23年10月、巨人でヘッドコーチなどを歴任した岡崎郁氏が自身のYouTube「アスリートアカデミア」に元巨人の槙原寛己氏をゲストに迎えた際、長嶋さんの都市伝説を検証。槙原氏が現役時代「三角に切ってあったスイカがウオーミングアップして帰ってくると先の部分だけみんななくなっていた」「どら焼きも半分にはがしてしまう」「バナナを皮ごと半分に折って真ん中だけ食べる」という逸話を披露。岡崎氏は「横浜スタジアムで肉まんの中の肉だけ食べて、白いところは置いたのを見た」と、長嶋氏が愛される一面を明かしていた。

 長嶋さんは1936年(昭和11年)2月20日、千葉県・佐倉市出身。東京六大学野球の通算最多本塁打(当時)記録を引っ提げ、58年に立大から巨人に入団。開幕戦で国鉄・金田正一投手の前に4打席4三振のデビューとなったが、ルーキーイヤーに打率3割5厘、29本塁打、92打点で本塁打と打点の2冠に輝き、新人王を獲得。2年目の59年6月には天覧試合で阪神・村山実投手からサヨナラ本塁打を放ち、プロ野球人気に火を付けた。

 首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度獲得し、65年から73年までの巨人の9年連続日本一に貢献し、「ミスター・ジャイアンツ」「ミスタープロ野球」と呼ばれ、王貞治一塁手との「ONコンビ」は、野球界の顔として国民的な人気となった。最優秀選手5回、日本シリーズMVPも歴代1位の4回選ばれ、ベストナインは17回選出。入団から引退まで選ばれた唯一の選手だった。

 74年「わが巨人軍は永久に不滅です」という名言を残し、背番号「3」を永久欠番にして17年の現役生活を終えた。現役時代の通算成績は2186試合出場、2471安打、444本塁打、1522打点で打率3割5厘。

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