片岡篤史氏 PL学園を救った春の甲子園の“寒さ”「第3試合なら負けてる可能性ある」

[ 2025年3月19日 21:34 ]

1987年センバツの決勝・関東第一戦の7回、適時二塁打を放ったPL学園の片岡篤史
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 前中日ヘッドコーチ・片岡篤史氏(55)が、自身のYouTube「片岡篤史チャンネル」を更新。開幕した高校野球センバツ大会の難しさを振り返った。 二松学舎大付「必殺仕事人」など応援メドレー

 高3春のセンバツ。PL学園(大阪)の初戦は大会2日目の第1試合。相手はのちにドラフト2位で広島入りする左腕・石貫宏臣を擁する優勝候補の西日本短大付(福岡)だった。

 片岡氏は「当時は朝8時開始。(春の甲子園球場は)まだ寒いわけよ。ピッチャーの石貫の調子が上がる前(4回に)ポポンと3点取った。5回以降は全部三振取られたというくらいの感じ」と振り返った。

 その3点を野村弘樹―橋本清のリレーで守り抜いて優勝候補を撃破。片岡氏は「3―1で勝って、それで波に乗れた。もし(気温が上がる)第3試合だったら負けてる可能性ある」と指摘した。

 春ならではの気温差の“いたずら”。波に乗ったPL学園は春夏連覇を達成する。

 片岡氏は「くじ運や試合開始時間、天候というのもセンバツ。当時は練習試合もできないぶっつけ本番だったからなおさらだった」と説明した。

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