一茂 長嶋さんを笑顔で見送る「不謹慎かもしれないが…」 きょうだいでくみ取った父への思い明かす

[ 2025年6月7日 05:15 ]

テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演した長嶋一茂(同番組から)

 3日に89歳で亡くなった巨人の長嶋茂雄終身名誉監督の長男でタレントの長嶋一茂(59)が6日、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に生出演し、最期の病室の様子や偉大な父への思いを明かした。「戦いの現場で自分を輝かせて、ファンに喜んでもらうことで89年の人生を終えた」と振り返り、最も身近でスーパースターに接してきた息子として率直な言葉で語った。

 黒いスーツとネクタイ姿の一茂は「なかなかね…一言で言うのも難しい」と言葉を選びながら、約15分にわたり父について語った。

 2004年に脳梗塞を発症し闘病生活を送ってきた長嶋さん。一茂は「野球を始めてからずっと戦ってきたし、21年前に発症してからの方が壮絶、過酷だった。ずっと戦ってきた」と振り返った。

 最期の病室には妹の長島三奈さん(57)らきょうだいが集まったとし「泣いているきょうだいはいなくて、笑い声さえ聞こえて」と穏やかな雰囲気だったという。「奇麗な若い看護師さんがいた病院で“パパは幸せだよね。こんな奇麗な看護師さんに見送られてさ”」と三奈さんらと話したそうで「笑って見送る。不謹慎かもしれないが、家族としてお許しいただきたい」と家族の時間をかみしめた。「(父は)ネガティブな行動を絶対やらない。24時間100%ポジティブ。きょうだいみんなそれをくみ取った」と思いを明かした。

 小学生で野球を始めたが、常に偉大な父の存在があった。中学で一度野球から離れ、高校で再開。素質を買われ1987年に立大からドラフト1位でヤクルトに入団した。「野球をやるたびに父親がどんどん離れていった感覚になった。周りの人たちは大体“君のお父さんはね”から始まるから、それがずっと続くと“なんだろうな”というのが若いころはあった」との葛藤を率直に告白。93年に長嶋さんが監督だった巨人に移籍し、96年オフに父から直接戦力外通告を受けた。「最後の引退の宣告は父親にさせてはいけなかったかなと悔やまれる」と吐露した。共演者から、スーパースターを父に持ったつらさがあったのでは、と問われると「つらさとか、自分の人生の喜びや幸せは、平等に訪れるって僕は思っている。自分だけのつらさが、他の人よりつらいっていうことはない」と答えた。

 やはり思い出は野球。子供のころ、日が暮れるまでキャッチボールをした父との時間を「一言もしゃべらなかったけど、キャッチボールは父親と一時間でも二時間でもできた」と振り返った。「野球を通じて父親と会話できた。それが私の中の最大の思い出」と息子の顔に戻って話した。

《3日コメント「野球の星」 由来はさんまとの“昔話”》
 一茂は3日に発表したコメントで「長嶋茂雄は野球の星に帰りました」とつづった。これについて、明石家さんま(69)との会話での表現だったと説明。「さんまさんはお笑いの星から来た人だけど、長嶋茂雄は野球の星から来ましたよね、と昔そういう話をした。そのイメージがあった」と明かした。

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