長嶋茂雄さん 師弟で国民栄誉賞 “勝負”した始球式 王さん、愛弟子と東京五輪聖火リレーも

[ 2025年6月4日 06:30 ]

長嶋茂雄さん死去

始球式を行う松井秀喜氏、安倍晋三首相、巨人・原辰徳監督、長嶋茂雄終身名誉監督
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 野球人・長嶋茂雄の本能が表れたのが、13年の国民栄誉賞の表彰式だった。打席に立った始球式。「4番、サード、長嶋茂雄、背番号3」のアナウンスが流れ、ともに受賞した投手役の愛弟子・松井秀喜氏と対峙(たいじ)した瞬間「燃える男」に火が付いた。

 「気持ちが高ぶっていて“さあ、打とう。打ってやるぞ!”という気持ちがあった」。04年に脳梗塞で倒れてから右半身にまひが残るため左手一本でスイング。大歓声の中、内角高めにバットは空を切った。「いい球だったら打っていたと思う」。そう振り返ったが、実は事前の打ち合わせで「空振りしてください」と言われていた。原辰徳監督が捕手、安倍晋三首相が球審役を務め、ファウルチップが当たる危険性を考慮しての要望だった。でも、背番号3のユニホームで打席に立てば、強打者の心が燃える。本能で打ちにいったミスタープロ野球がそこにいた。

 その8年後。長嶋さんと王貞治氏の「ONコンビ」が共演を果たしたのが、21年の東京五輪開会式での聖火リレーだった。ともに参加した松井氏から「一番、心地良い歩き方をしてください」と言葉を掛けられ、体を支えられた。代わりにトーチを持った盟友の王氏と歩みを進め、しっかり聖火をつないだ。

 07年に亡くなった亜希子夫人と出会ったのも東京五輪。64年大会でコンパニオンを務めており、座談会の席で長嶋氏が一目ぼれした。57年を経て訪れた運命的な舞台だ。日本代表の監督だった04年アテネ五輪は、直前に脳梗塞で倒れ、現地で采配を振れなかった。それから17年の時を経て踏みしめた五輪の舞台。五輪との深く熱い「縁」もミスターの歴史を彩っている。(秋村 誠人)

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