クレイジーケンバンド・横山剣 元ドラマー廣石惠一さん追悼「受け止め難い…“ごめんね、有り難う”と」

[ 2025年3月26日 00:06 ]

横山剣
Photo By スポニチ

 1980年代の音楽シーンを席巻した人気ユニット「杉山清貴&オメガトライブ」やロックバンド「クレイジーケンバンド」で活躍したドラマーの廣石惠一さんが16日に脳出血のため死去した。64歳だった。25日にクレイジーケンバンドの公式SNSが明らかにした。

 クレイジーケンバンドの公式インスタグラムでは「1997年の結成時から2022年までクレイジーケンバンドのメンバーとして活動された廣石惠一氏が、令和7年3月16日、脳出血のため64歳で逝去されました」と伝えた。

 ボーカルの横山剣は公式サイトを通じて追悼した。

 「組長こと廣石さんが亡くなったことは、非常に受け止め難い現実であり、この想いを言語化するのはとても困難。組長流に言うなら『無理だ!』という状況にあるので、こうしてコメントするのを戸惑いましたが、とにかく、本日、横浜の斎場で廣石さんとお別れをして来た事をここにご報告申し上げます。組長、イイ顔で眠ってました」と沈痛の思いを抱え、葬儀に参列したことを報告した。

 「知り合って間もない頃、そうですね、住まいは同じ横浜だし、組長も僕も本牧や大黒の港湾関係で仕事してたので、まるで中高生みたいにお互いの家を行き来しては、好きなレコードを聴かせ合ったりしていましたね。そこには常にノッサンもいました」と振り返り、「そんな廣石さんといくつものバンドで活動を共にした36年間。良くも悪くも色々な事がありました」と回想。

 「2010年代辺りからバンド内での揉め事が少なくなった反面、本音でぶつかり合うこともなくなって来た気がします。それは僕らが大人になったからではないです。CKB結成の時点で既にアラフォーだったし。今、思えばお互いの意見や不満をもっとぶつけ合えたら良かったんですが、そう出来なかったことを謝りたいです。そして、時期は前後しますが『バンドなんてもうコリゴリ。作曲だけでいい!』なんて自暴自棄になっていた僕をヌルッとバンド実演の世界に引き戻してくれたのが組長でした。他にも色々ありますが、組長との思い出は一冊の本になるぐらいあるし、CKB各メンバーにも色々な想いがあると思いますのでこれぐらいにしておきます」とした。

 「斎場で眠る組長を見ながら心の中で“ごめんね、有り難う”と呟きました。天国で秀光さんとチャドに会ったらくれぐれも宜しくお願いします。組長にはブルーノ・マーズとレディ・ガガのduet『Die with Smile』を捧げます。安らかに。横山剣」と結んだ。

 廣石さんはクレイジーケンバンドの結成当初からドラムス・パーカッションを担当。22年8月末から膝関節炎療養のため活動休止し、バンドとの方向性の相違から23年3月に脱退した。

 2023年には「杉山清貴&オメガトライブ」がデビュー40周年を機に再集結。「FIRST FINALE TOUR 2024」と題して全国ツアーを開催したが、廣石さんは体調不良のため不参加となっていた。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「中居正広」特集記事

2025年3月25日のニュース