“3人目のB'z”明石昌夫さん 心不全のため死去 68歳 家族があらためてファンに感謝

[ 2025年5月26日 13:05 ]

明石昌夫さん(ミュージックユニバース公式サイトから)

 B’zやZARDなど、ビーイングアーティストを中心に数々の編曲を手掛けた音楽プロデューサーでベーシストの明石昌夫(あかし・まさお)さんが19日、心不全のため死去した。68歳だった。兵庫県出身。

 明石さんが特別監修を務めていた音楽関連会社ミュージックユニバースが26日、公式Xで「ご家族からのメッセージ」を掲載した。

 「突然のご報告となりますが、明石昌夫が、2025年5月19日、心不全により永眠いたしました」とあらためて悲しみの報告。

 続けて「生前は、音楽家として本当に多くの素晴らしいご縁に恵まれ、一つひとつの楽曲と真摯に向き合いながら、たくさんのアーティストの皆さまと共に、かけがえのない音楽を生み出してまいりました」とし、「本人に代わりまして、生前賜りました皆さまのご厚情とご支援に、心より感謝申し上げます」と記した。

 そして「まだ現実を受け止めきれずにおりますが、これからは皆さまの中にある『明石昌夫の音楽』が、新たな形で生き続けてくれることを、何よりの支えと感じております」と伝えた。

 葬儀は近親者のみにて執り行ったとし、「後日改めて、『お別れの会』をご案内させていただく予定です」と発表。「皆さまにおかれましては、どうぞお身体を大切にお過ごしください。本当にありがとうございました 2025年5月26日 明石昌夫 親族一同」と結んだ。

 公式Xでは24日に「お知らせ」と題し「本日、明石昌夫が旅立ちました。明石昌夫はベーシストとして、また作曲家としてB'zやZARDをはじめとした数多くのアーティストのステージや楽曲制作に貢献しておりました」と訃報を伝えた。

 しかしその投稿の約4時間後に、再び同社の公式Xで「先ほど発表しました明石昌夫の訃報の投稿において、日付について誤りがございました。ご迷惑をおかけ致しましたことを謹んでお詫び申し上げます。詳しくは明日正式に発表させていただきますので、関係各所へのお問い合わせはお控えください」としていた。

 明石さんは1988年にビーイングと契約。初編曲作品はB’zの「だからその手を離して」だった。ベーシストとしても評価され、1997年までB’zのベース&マニピュレートでサポートメンバーとしても活躍。“3人目のB’z”とも評された。B’z、ZARDの他にも大黒摩季、華原朋美、西城秀樹、SIAM SHADE、Janne Da Arc、島谷ひとみ、TUBE、WANDS、V6、MANISHなど40組以上のメジャーアーティストの楽曲を手がけた。

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