サッカー元日本代表 身内に1億5000万円横領され転落…年収1億円超がブラジル出稼ぎ生活へ

[ 2025年2月19日 06:00 ]

武田修宏
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 サッカー元日本代表でタレントの武田修宏(57)が、15日に放送されたMBSテレビ「痛快!明石家電視台」(土曜後3・00)に出演。波瀾(はらん)万丈の人生を振り返った。

 この日は「人生の選択~どっちを選んでもええねんで でもほんまはアカンねんで~」を放送。様々な人物の人生を振り返る企画で、ゲストとして登場したのが武田だった。

 清水東高校卒業後、サッカーを続けるために日本テレビ系列の静岡第一テレビに就職。東京支社で電話番の仕事をしたり、広告代理店にCMの営業をしたり、と普通のサラリーマンをしながらサッカー選手としての練習を並行した。

 当時はJリーグが始まる前のこと。「プロがなかったので社員。4年ぐらい会社員をして、いきなりプロができた。プロになろうと思ってサッカーしてなかったですから」と当時を振り返る。

 それでも日本リーグ時代の読売クラブでは高卒ルーキーならがも22試合で11得点を挙げ、いきなりMVPを獲得。さらにJリーグ発足後も、ヴェルディ川崎でゴールを量産する活躍で、気が付けば30~40万円だった月収は600万円、年収は1億2000万円になっていた。

 当時は「ホテルのスイートに1年間」とホテルオークラに定住。「敷金礼金があるなら、ホテルで暮らした方がいいから」とマンションを借りるよりも羽振りの良い生活を送っていた。「最初に東京に来た時は6畳一間に兄と2人暮らし」だったものが、「それがいきなりホテルオークラに、ポルシェになっちゃって」という激変。だが、長くは続かなかった。

 「3年ぐらいで。バブルだからはじけちゃうから」と景気の良い時代が終焉(しゅうえん)。「34歳になって、身内に1億5000万円を横領されて」と貯金を失い、ブラジルへの単身出稼ぎを決断する。「すごい良い時もあるし、ブラジルで1人の時もあるし」と浮き沈みを経験した。

 そんな武田も当時600万円で契約更新の話があったが、2001年限りで現役引退を決断。事務所の社長に相談して、決断したといい、「選手を辞めるタイミングは難しい。言ってくれたおかげで辞められた」と感謝していた。

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