関西大学野球リーグ

【関西学生野球のキーマン】同大・財原光優 約束通り地元関西へ戻り、母へ恩返しの力投を誓う

[ 2025年4月1日 10:00 ]

同大・財原光優
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 同大にとっては、昨年12月に就任した竹川智之新監督の下で再起を期す一年が始まる。その新たなチームの顔になろうと意気込むのが、横手投げ右腕の財原光優(4年)だ。

 「リーグ優勝が通過点ぐらいの気持ちでやらないと日本一は目指せない。優勝から遠ざかっているけど、負けない強さを持ったチームをつくりたいです」

 主に救援としてリーグ戦通算31試合に登板した最速142キロ右腕。明豊(大分)時代も救援投手で、3年春には背番号11を背負って選抜準優勝に貢献した。甲子園登板時も現在と変わらず横手投げで、「意識して腕の位置を下げているわけではなく、野球を始めた頃から横で投げていた」と明かす。捕手だった小学生時代も横から送球していたほどで、自然と変則右腕としての活路が開けていった。

 1歳から母・弘子さんに女手一つで育てられた。甲子園出場を夢見て、高校は地元の大阪を離れることを希望するも、「大学では必ず帰ってくるからね」と約束した。明豊では3年時に春夏連続甲子園出場。そして、強豪の同大進学をかなえられるまでの成長を見せて関西に戻ってきた。

 「お母さんは僕の試合を見るのが好きで、リーグ戦も全試合見に来てくれている。だから社会人、プロと野球を職業にできるような進路に進み、お母さんに恩返ししたいです」

 同大は4連覇を達成した11年秋を最後に優勝から遠ざかる。「新体制で日本一になることが目標です」。現在は、実家から約1時間かけて京都の大学に通学中。母の手料理も力に変えて、新たな伝統を築こうとしている。

 ◇財原 光優(さいはら・あきひろ)2003年(平15)7月25日生まれ、大阪府大阪市出身の21歳。小2から大阪クーガースで野球を始めて捕手。中学では大阪東ボーイズに所属して投手に本格転向。明豊(大分)では1年秋に背番号18でベンチ入りし、3年時に背番号11で春夏連続甲子園出場。同大では2年春からリーグ戦に出場して通算31試合登板。50メートル走7秒0、遠投95メートル。1メートル83、88キロ。右投げ右打ち。

 ▼同大・竹川智之監督 飛び抜けた選手がいない分、チーム一丸で戦うことが求められる。ただし、それができれば、いい結果が残ると思う。一体感のある野球をして、生まれ変わったと思ってもらえる春にしたい。

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