菊水丸店主 珍宝堂

河内家菊水丸 第52代横綱・北の富士さんの訃報に触れ、角界“ウラばなし”を思い出しました

[ 2024年12月4日 11:00 ]

今、これを読み直しています
Photo By 提供写真

 【菊水丸店主 珍宝堂】勉強をそっちのけで、河内音頭の稽古と趣味の大相撲に没頭していた中学時代。高校受験を控えて、担任の先生から「あなたには、行く学校がありません」と宣言された私に、相撲部の部員を探していた此花学院高(現大阪偕星学園高)に推薦状を書いてくださった、元関脇・玉乃海の第12代片男波嶽太郎親方には、たいへんお世話になりました。

 1987年(昭62)9月27日、日本相撲協会を定年前に親方は急逝され、そのお通夜に参列時、元浪曲師だった女将さんから人目を忍ぶように、27歳の現役で亡くなった第51代横綱・玉の海関の元婚約者らしきお方を「両国駅まで送って行って」と耳打ちされたのです。私は24歳。駅までどのような会話を交わしたのか?どんなお顔だったのか?全く記憶にございません。

 先般、第52代横綱・北の富士さんの訃報に触れて、九重親方時代に書かれた未読の日之出出版刊「角界ウラばなし 爆笑大相撲」を引っ張り出して読んでいますと、同時横綱に昇進し〝北玉時代〟とうたわれたライバル、玉の海関の思い出話がつづられていました。そこに、あるスポーツ選手と結婚する約束ができていたみたい…と、その種目とイニシャルまで書いてあり、すごい本やなぁ…と驚きながらスマホで検索すると、該当者はひとりだけ。画像を見ると、お通夜の夜に駅までお送りした、記憶から完全に消えうせていた人のお顔だったのです。61歳になった私ですから、100%間違いないとは言いきれませんが…。

 ちなみに、北の富士さんが、後に東京新聞出版局から出された自伝エッセー「土俵で燃えろ」では、将来を誓い合う仲だったというウワサを聞いたことがあった…と、そのスポーツ選手のイニシャルは書かずに、少しぼやかしておられます。

 これは、中学2年生の春場所、大阪府立体育会館でもらった北の富士さんのサイン色紙です。心よりご冥福をお祈りいたします。 (河内家菊水丸)

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