伝説「トキワ荘」の仲間も悲しみ つのだじろう氏「旅行もゴルフもずっとつるんできた」

[ 2022年4月8日 05:30 ]

1995年、赤塚不二夫さん(左から4人目)の還暦パーティーに出席した(左から)つのだじろうさん、石ノ森章太郎さん、鈴木伸一さん(1人おいて)藤子不二雄Aさん、藤子・F・不二雄さん
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 藤子Aさんは、東京都豊島区にあり、天才漫画家たちが同居していた伝説のアパート「トキワ荘」の出身だ。

 藤子・F・不二雄さんと出会って上京し、手塚治虫さんの勧めもあり、1954年にトキワ荘へ入居。61年に退居するまで藤子・Fさんと隣部屋。同時期に石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さん、寺田ヒロオさん(いずれも故人)らが住んでいた。

 当時、トキワ荘にスクーターで通っていた「恐怖新聞」などで知られるつのだじろう氏(85)は「生涯の親友」の死にショックを隠せない。文書で追悼コメントを寄せ「妙にウマが合って旅行も…ゴルフも…飲み屋も…ずっとつるんできた仲間だった」と悲しみに暮れた。

 「“とうとう俺たちが最後まで生き残っちゃったなぁ”と言い合っていたのに…ついこの間、電話で話してたばっかりなのに…」と、突然の死を受け入れられない様子。「“惜しい男を亡くした”とか…通り一遍の追悼の辞など、まったく浮かんでこない。親友を失うというのは、そういうものなのかもしれん。ただひたすら“長い間ありがとう!”あるのみ」と悼んだ。

 58年、18歳の時にトキワ荘に住んでいた「星のたてごと」などの水野英子さん(82)は、スポニチ本紙の取材に「周囲の方からお元気だと聞いていたので、まさか…」と追悼。藤子Aさんには「憧れのお兄さま」というイメージを持っていたといい「恐れ多くて仲良くお話はできなかった。トキワ荘の住人は全員部屋のドアを開けて創作していて、出入りは誰でも自由だったけれど、藤子両先生の部屋にだけはどうしても入れなかった。2人で一緒に創作しているところを見ることができなかったのが心残りです」と振り返った。

 ≪ミュージアム来場者ら追悼≫藤子(A)さんらが青春時代を過ごしたアパートを復元した東京都豊島区のトキワ荘マンガミュージアムでも悲しみが広がった。施設の担当課長熊谷崇之氏(45)は「施設を“よくできているね”と褒めていただいた。気さくで心温かい方でした」と声を落とした。開催中の手塚治虫作の「鉄腕アトム」展には、藤子(A)さんが一部手伝った作品も展示されている。来場した都内のアルバイト、生田英二さん(63)は「“怪物くん”の怖くない愛らしさが好きでした」としのんだ。

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