【内田雅也の広角追球】日本・台湾の学生共同制作の記録映画上映会とシンポジウム、15日、関大で開催

[ 2025年2月13日 12:46 ]

「情熱棒球」日台野球シンポジウムの案内チラシ
Photo By 提供写真

 関西大と台湾・屏東大の学生が共同制作したドキュメンタリー映画『情熱棒球』が完成し、初の上映会が15日、関西大千里山キャンパス第3学舎「ソシオホール」で開かれる。午後1時30分から上映会に続き、日台野球についてのシンポジウムがある。入場無料。

 台湾から留学し関西大大学院を修了、2022年に参入した台湾プロ野球の新球団、台鋼ホークス(雄鷹)の初代ゼネラルマネジャー(GM)に就いた劉東洋さん(48)との関係から今回の映画制作となった。高雄市を本拠地として地域密着のファン開拓、チーム強化に奮闘する姿が描かれている。

 シンポジウムは関西大名誉教授の黒田勇さん(73)が司会を務め、登壇者に劉さんをはじめ、前関西大野球部監督の早瀬万豊さん(66)、映画ディレクターで関西大学生の溝淵千夏さんに加え、わたしも招かれた。

 日台野球のつながりでまず思い浮かぶのは嘉義農林だった。幾度か取材して記事を書いてきた。

 日本統治時代の1931(昭和6)年夏、全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)に初出場し、準優勝を果たした。2014年には映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』でも描かれた。

 内地人(日本人)、漢民族、高砂族(先住民)の混成チームだった。近藤兵太郎監督は「日本人は守備がうまく、漢人は打撃に強く、蕃人は走ることにたけている。こんな理想的なチームはない」と語っていた。その快進撃に作家・菊池寛は「すっかり嘉農びいきになった」と東京朝日新聞の観戦記に書いた。

 近藤は松山商―早大OB。熱血指導で知られた。ただし、いわゆる根性練習ばかりではなかった。名前を略し「コンピョウさん」と親しまれた。今年1月には野球殿堂特別表彰の候補者にもあがっていた。

 準優勝から80年を記念して2011年夏の甲子園大会開会式に招かれた嘉義農林(現嘉義大学)OB会長の蔡武璋さんが「今も伝わる精神」を教えてくれた。「純情、真情、友情と言います。近藤先生が教え込んだ野球の心です」

 台湾野球界にはこうして戦前の日本が伝えてきた野球の心が今も生きているのかもしれない。

 昨年11月24日、第3回WBSCプレミア12決勝(東京ドーム)で侍ジャパンを破り、初の世界一に輝いた台湾代表は、優勝後、用意されていたシャンパンファイトを行わなかった。

 台湾メディアによると曽豪駒監督は「ここは日本プロ野球のフィールドだ。もちろん祝うことはできるが、この喜びを台湾に持ち帰って祝うことを望んでいる」と相手の本拠地球場であることに敬意を示し、謙虚な姿勢を見せたと紹介した。

 15日のシンポジウムでは日台野球の歴史的な交流も話題となるだろう。準備を進めて登壇しようと心を引き締めた。 =一部敬称略= (編集委員)


 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。台湾野球には小学生時代に強烈な印象を抱いていた。所属した和歌山リトルリーグは世界選手権優勝の経験もあるチームで、目標は大きく「世界一」だった。当時、世界最強を誇ったのが台湾で1971~74年と世界選手権を4連覇していた。

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