【峰竜太の“アロハな気分”特別版・後編】母が明かす竜太の育て方 祖父母の愛情をたっぷり注がれ…

[ 2024年8月28日 07:00 ]

唐津西高時代の峰(母・真弓さん提供)
Photo By 提供写真

 佐賀県唐津市出身でボートレース界のスーパースター・峰竜太による月1コラム「アロハな気分」。今回は先月に続き連載1周年を記念しての特別企画の後編。母・真弓さんと峰自身が中学、高校時代、さらにはボートレーサーになってからのエピソードなどを教えてくれた。

 おっちょこちょいでお守りを肌身離さず持たせるほど心配だった峰少年は、中学校時代に運命的な出会いを果たす。同級生に、後の師匠となる松尾孝明さんの子供がいて、峰はボートレースからつで観たレーサーへ憧れを抱いた。

 「竜太から“ボートレーサーになるためにヨット部がある高校に決めた”って。当時はボートレーサーという職業があることすら知りませんでしたし、特別な人しかなれないんだと思ってました。学校のことは一切、話さない子でした。成績は良かったみたいです。コツコツ型で自分だけ勉強をやる感じの子。お小遣いもコツコツためていたようです。弟思いの優しい子で今でも弟を気にかけているみたい。全く違う性格の兄弟でしたが、兄弟の仲は良かったです」

 高校のヨット部時代はインターハイ、国体に出場し、2年時には九州チャンプ、オーストラリアのシドニーで開催された世界選手権に出場と輝かしい成績を残したが、「仕事をしていたので、ほとんど見に行けなかったんですよ」と残念そうに振り返った。ただ、ボートレーサーになってからは息子の走りを追いかけている。

 「レースは必ず見ていますよ。仕事の日でも昼休みになったら必ず(リプレーなどで)。竜太の祖母2人も凄く楽しみにしているんです。私たちの生きる活力になっています」
 息子からの印象に残っているプレゼントを尋ねると「もう昔の話ですけど、ワーゲンのビートルが欲しいって言っていたら買ってくれました」というエピソードも教えてくれた。

 さあ、気になるのはズバリ峰竜太をどう育てたのか?

 「特別なことは何もしていないです。主人の両親と同居していたので、祖父母の愛情がたっぷり注がれていたと思います。特に祖父は竜太がかわいくて仕方なかったようで」

 周囲の愛が心優しき峰竜太を育てた。ちなみに顔は父方の祖父にそっくりだったそうだ。

 最後に真弓さんから、ボートレーサー峰竜太への思いを語ってくれた。

 「きっと今までは多大なるプレッシャーやストレスに押しつぶされそうになりながら自分を鼓舞させ、時にはごまかしながら突っ走ってきたと思います。メンタルも体もボロボロになっているのではないかと。これからは少し肩の力を抜いて、ボートレーサーという仕事を楽しんでくれたら…と思います。志を忘れることなく穏やかな気持ちでボートレーサー人生を送ってくれたらと思います」

 これまでもこれからも、母として、峰竜太の最大の理解者として応援を続けていく。

 ≪されど…有言実行の証≫峰の実家に“されど 我道 悔いはなし 目指すは競艇選手日本一”と記された紙が残っている。峰によると「高校3年で部活が終わった時に、早稲田や法政などから特待推薦が来ていたのを全部断った時に書いた。自分は通知表の平均が4・7あった。4・5以上あって、部活で成績を残した人だけのスーパー推薦みたいなのを僕だけが通ったんですけど、それをお断りして、決意が揺らがないように校長先生に“日本一の競艇選手になります!”と誓ったもの」とのこと。大学特待推薦の道を蹴って初志貫徹し、しっかりと有言実行を果たしてみせた。

 ちなみに今年3度目のVを飾った前走の「からつお盆特選」後はハワイへ7日間の一人旅。観光には目もくれず連日サーフィンを満喫し「最高でした!」とリフレッシュできた様子。現在出走中のSGメモリアルでVを目指して奮闘中だ。

続きを表示

この記事のフォト

「2025 宝塚記念」特集記事

「函館スプリントS」特集記事

2024年8月28日のニュース