×

こだわり旬の旅

【埼玉】“新1万円札の顔”渋沢栄一のルーツを訪ねて 故郷に残る「公益」の思想

[ 2025年1月1日 01:00 ]

渋沢栄一記念会館で講演する渋沢のアンドロイド
Photo By スポニチ

 新1万円札の「顔」となった渋沢栄一。500以上の企業設立に尽力して「近代日本経済の父」と呼ばれ、その生涯はNHK大河ドラマでも描かれたが、彼のルーツをたどろうと出身地の埼玉県深谷市などを訪ねると、住居や記念館、神社、旅館などゆかりの地が数多く存在。91歳で天寿を全うするまで、各地を精力的に回った渋沢の在りし日の姿がしのばれた。

 “渋沢栄一の旅”は、JR東京駅から約1時間半の高崎線深谷駅から、いきなり始まった。同駅は東京駅にそっくりで、東京駅が渋沢が設立に関わった深谷市の煉瓦(れんが)工場のレンガで造られたことから、1996年(平8)に東京駅に似せて造られたという。

 渋沢に歓迎されたような気持ちで最初に向かったのが、タクシーで約15分の「渋沢栄一記念館」。95年11月11日の渋沢の命日に、公民館の一部に開館。資料室には渋沢の遺墨や写真が展示され、講義室ではタキシード姿の渋沢栄一アンドロイドが「道徳経済合一説」について講演。優しい顔の割には野太い声だ。

 アンドロイドは同館から徒歩約10分の渋沢の生地、血洗島の旧渋沢邸「中の家(なかんち)」にも。中の家は1895年(明28)、渋沢の妹夫妻によって建てられた屋敷で、着物姿のアンドロイドが映像の前で「論語から学ぶ人生」などについて、こちらは優しい声で解説。屋敷内には帰郷時に滞在した部屋も残っており、今もぬくもりが感じられるようだ。

 帰郷は毎年に及び、欠かさず鑑賞したのが、中の家から徒歩約10分の「諏訪神社」の秋の祭礼時の獅子舞。少年時代に自ら舞ったほどの愛好家で、1916年、自身の喜寿(77歳)を記念して拝殿を寄進。渋沢が座って獅子舞を見ていたという石に記者も座ってみると、確かに拝殿前の特等席で、どこからか獅子舞のお囃子が聞こえてくるような気がした。

 23歳まで血洗島で過ごした渋沢が7歳の頃から論語を学ぶため通ったのが、中の家から徒歩約13分の「尾高惇忠生家」。渋沢の従兄で学問の師でもあった尾高の生家で、尾高は渋沢の“知の源”といわれる存在。2階では尊王攘夷に心酔した尾高と渋沢らが高崎城乗っ取りなどの謀議を重ね、それが京都出奔につながったという。

 尾高の生家から10分ほど歩くと、「誠之(せいし)堂」に到着。諏訪神社同様、渋沢の喜寿を記念して第一銀行行員たちの出資で建てられたもので、そばの同銀行頭取・佐々木勇之助の「清風亭」とともに東京・世田谷から移築された。西洋風の造りの中に東洋風の意匠を取り入れた誠之堂。同行でも渋沢に人望があったことの証だろう。

 そういえば両施設を含め、この日回った施設すべてが入場、駐車場とも無料。私益ではなく公益を大事にした渋沢の古里らしいおもてなしといえるのかもしれない。

 ▽行かれる方へ 車は関越道花園ICから約20分。中の家では3月8、9日に将棋の王将戦(スポーツニッポン新聞社など主催)第5局が行われる。問い合わせは渋沢栄一記念館=(電)048(587)1100。
   

続きを表示

この記事のフォト

バックナンバー

もっと見る