【コラム】金子達仁

残り2試合 三笘以外の新たな武器示せるか

[ 2025年6月5日 09:00 ]

 すでに本大会行きのチケットは獲得しているとはいえ、W杯アジア最終予選の残り2試合は、日本にとって決して小さくはない意味を持っている。

 大幅にメンバーを入れ替えたことで、日本に頑張ってもらう以外に道はない中国では、一部のメディアが「スポーツ倫理に反する」とご立腹のようだが、そこはご心配なく。他国の国歌吹奏にブーイングを浴びせたり、わざと着席したり、ピッチの幅を狭くしたりする国とは違い、もちろん例外はあれど、基本的に日本人は堅苦しいまでに倫理やマナーにうるさい国民性とされる。どこかの国を貶(おとし)めるためには手段を選ばず、という発想に至ることは、まず、ない。日本は、間違いなく全力で勝ちに行く。

 ただ、だから勝てる、とは限らない。

 7―0で圧勝した中国との初戦。日本の先制点はCKから遠藤のヘッドだった。5―0に終わったバーレーン戦の先制点はPKだった。サッカーにおいて、もっとも重く、困難だとされる最初のゴールを、日本はセットプレーで奪ってきた。

 サッカーというスポーツでは、実力に勝る側が最初にゴールを決めてしまえば、試合の膠着(こうちゃく)度は一気に下がる。完璧に見えた最終予選序盤の2試合ではあったものの、展開に恵まれた部分も多分にあった。一歩間違えばスコアがもっと拮抗(きっこう)したものになっていた可能性は否定できるものではない。1―1の引き分けに終わったホームでのオーストラリア戦のように、である。

 しかも、今回の日本代表には三笘がいない。伊東もいない。今予選で存分に威力を発揮した、対戦相手からすれば大きな脅威となっていたサイドアタッカーがいない。

 ベスト8で敗退し、森保監督更迭論が噴出した24年のアジア杯を思い出してみよう。あのとき、三笘はフルには使えない状態だった。個人的に、最大の敗因はGK鈴木の経験不足に起因する最終ラインの不安定さにあったと感じているが、主導権を握っているわりに、決定機が少なかったのも事実だった。W杯カタール大会以来言われ続けたセットプレーの完成度も、高まっているようには見えなかった。 

 ご存じの通り、いまの鈴木は、アジア杯の時とはほぼ別人である。セットプレーの精度も、新たな武器といえるぐらいにまで高まった。

 そんな状況で迎えることになる、三笘を欠いた上での戦い。そこでの内容、結果は、アジア杯以降の成長がいかほどだったかという点を明確化し、三笘以外の新たな武器があるかどうかを示すことになる。

 三笘は素晴らしい選手だが、しかし、彼はメッシではない。対戦相手によっては、仮に三笘がベストの状態であっても、仕事をさせてもらえないこともあるだろう。そんなときに日本は二の矢、三の矢を持っているのか。三笘たちを欠いて臨む2試合で、日本としては何としても新しい芽を見つけておきたい。

 選手の側からすれば、これは大チャンスであり、絶体絶命の状況でもある。普段の主力に代わって招集された選手は、ここで結果を出さなければ次はない。お馴染(なじ)みのメンバーからしても、結果如何(いかん)で「三笘や伊東がいれば」と言われてしまうのは、絶対に避けたいところだろう。

 というわけで、日本にとっては結果はもちろん、内容も厳しく詮議される最後の2試合。ここで手を抜くような選手がいたら、むしろ大したものである。(金子達仁=スポーツライター)

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