【能登半島地震 現地取材】七尾市、段階的復旧も戻らぬ日常「今後どこに住めばいいのか…」
元日に最大震度7を記録した能登半島地震は3日、石川県などの集計により死者が73人となった。阪神大震災以降、地震での建物倒壊などによる直接死は2016年の熊本地震(計50人)を超え3番目に多くなった。
石川、新潟両県で約3万2000人(3日、午前6時現在)が避難所に避難している。石川県七尾市の田鶴浜高校では、約200人が武道場に身を寄せていた。電気は復旧し灯油ストーブで暖は取れているが、避難者は高齢者が8割。硬い武道場の床でそれぞれが自宅から持ち寄った毛布にくるまっていた。
親族3世代の2世帯9人で避難していた男性(47)は「家は全壊はしていないが、外壁が崩れ家具が倒れている」という。金沢地方気象台は3日、石川県輪島市、志賀町、穴水町などに大雨警報を発表。地震に続き、七尾市も外は無情の雨。「雨で家がどうなるか分からず避難所にいるしかない。住まいが一番不安で、今後どこに住めばいいのか、まだ何も考えられない」とつぶやいた。
避難所には、2日から物資が届き始めた。食事は冷凍の弁当だが、温める電子レンジが4台しかない。市の職員や若い人たちが作業を進めるが、200人分を温めるのは時間がかかる。できる仕事を協力し助け合う姿に頭が下がる。「正月で若い人が帰って来ていたから避難できた。老人だけではどうもできなかった」。避難者からはそんな声も漏れた。
田鶴浜体育館にも約200人が避難。炊き出しが始まっていたが、館長の長田継夫氏(69)は「介護者やペットがおり避難所に来られない人もいる。支援が届いておらず心配だ」と懸念していた。(文化社会部・塩野 遥寿)