【日本ダービー】19度目挑戦!93年、柴田政チケット悲願V

[ 2018年5月26日 05:30 ]

ウイニングチケットが直線差し切り日本ダービーを制す
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 16万大観衆が詰めかけた東京競馬場に「マサト・コール」が湧き起こる。44歳のベテランジョッキーはウイニングチケットの背中の上で左手を上げて歓声に応えると、声を振り絞った。「世界中のホースマンに私が第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと言いたい」。19回目のダービー挑戦で悲願の初制覇。1番人気ウイニングチケット、2番人気の岡部ビワハヤヒデ(後の菊花賞馬)、皐月賞を制した3番人気の武豊ナリタタイシン…皇太子殿下御成婚奉祝競走として行われた平成5年は3強ダービーと言われたが、栄冠をつかんだのは柴田政人の執念だった。

 ウイニングチケットの黒鹿毛が4コーナーでポッカリ空いたインを突くと、直線坂下で先頭に立つ。レース前の思惑よりも早いラストスパート。坂上では内からビワハヤヒデ、外からナリタタイシンが迫ったが、抜かせない。政人のこん身ステッキに応え、ビワハヤヒデを半馬身抑えてゴール。「4コーナーのあの判断がビワとの差になったと思う。もし4コーナーで動かずに待っていれば逆に半馬身届かなかったかもしれない。ウイニングチケットのしぶとさを生かせた」。ベテランの面目躍如の騎乗。1番人気で4着に敗れた皐月賞のリベンジを果たした。「今だから言えるけど、実は皐月賞時は出来がひと息だったんだ。返し馬でもびっしょり汗をかいてね。ところが、ダービーでは隣の馬にいたずらするぐらい余裕があった。ダービーまでによく立て直したよ」と語る。

 栄冠から1年後の平成6年4月、柴田政人は落馬事故で引退へ。ウイニングチケットもその年にターフを去る。「騎手人生の一番最後にあの馬と巡り合えて…。この年に勝てなければダービージョッキーにはなれないと思って乗ったが、初優勝がラストダービーになってしまった。あれから、もう25年もたつのか」。平成のダービーに熱いドラマを生んだかつての名手は四半世紀前の大一番を懐かしそうに振り返った。

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